• シェイク!Vol.15 「ここが変だよバリアフリー ~障がい者とメディアの距離感と手ざわり~」(3)<br>空門勇魚(NHK制作局第1制作センター青少年・教育番組部ディレクター)×ライラ・カセム(デザイナー・大学研究員)×森永 真弓(博報堂DYメディアパートナーズ)

シェイク!Vol.15 「ここが変だよバリアフリー ~障がい者とメディアの距離感と手ざわり~」(3)
空門勇魚(NHK制作局第1制作センター青少年・教育番組部ディレクター)×ライラ・カセム(デザイナー・大学研究員)×森永 真弓(博報堂DYメディアパートナーズ)

異なる業種で活躍する3人がそれぞれの視点で語り合い、新たな価値観を生み出すヒントを見つけるトークセッション「シェイク!」。Vol.15の連載3回目は、『バリバラ』をつくるきっかけとなったエピソードから、当事者を支援する側にありガチな自己陶酔の問題に触れた回になる。

感動ポルノと支援者の自己陶酔

空門

重度の脳性麻痺の男子から聞いた話なんですけど、電動車椅子で旅に出ていて、どこかの島でバスを待ってたときに、現地のおばさんから「あんた頑張ってるね」ってお金を恵まれたと。また例がおばさんで申し訳ないのですが(笑)。

森永

おばさんはいい人なんですよね。

空門

いい人です。

森永

いい人なんですけどね。

空門

その子はただその場にいるだけで千円札を握らされて。

森永

いるだけで可哀想扱いになっちゃうんだっていう。

空門

そうそう。この現象は面白いなと思って、それが『バリバラ』を作るひとつのきっかけになったんです。この両者の「ズレ」を番組にできないかなって。本人は、その瞬間は腹が立ったけど、最終的には千円もらってよかったって満足げに言ってたんですけど。なんかその感覚もすごくわかったし。人間ってそういうものだよなと。

森永

障がいがなくても人はけっこうばらばらですよねえ。そこに障がいの条件が加わると、さらに個別差が大きくなりますよね。「障がい者は」とか「脳性麻痺は」とか一概に言えない。でも番組を作るときには、ある程度グルーピングして語らなきゃいけなくなると思うんですが『バリバラ』を作るにあたって気をつけたことはどんなことですか?あるいはお二人が他の番組を見ていて、この扱い方どうなの? と思ったことでもいいんですけど。

空門

福祉番組だけじゃなくて、どの番組でも、結局この話を通して何が言いたかったのかは問われます。そのときに、こと福祉番組においては「こんな重たい枷を背負って、さまざまな困難を乗り越えて、いまはこんなに輝いて生きてます」という枠にはめることに、日本のテレビ番組は慣れすぎていた。いわゆる感動ポルノという言葉に集約されるんですけど。それはいまもずっと続いているし、それを否定するつもりは毛頭ないです。でも、それしかないっていうのはどうなの? と思う。

ライラ

うんうん。

空門

10年前に番組を見ていた障がいのある視聴者からおたよりをいただきまして。「あなたたちのやってることはきれいごとだ。おれたちの本当の姿を映し出してない」という内容でした。それを出発点に考えて作ったのが『バリバラ』の前身にあたる番組です。で、一回ちょっと振り切ってみようと思ってやった企画があります。見てみましょうか。

動画 内容紹介 
「バリバラ大運動会 大阪の陣 最速王は誰だ? 究極のハンディキャップ戦ハイハイダッシュ」。
ハイハイダッシュは4人の選手がハイハイで1本の旗を奪い合うゲーム。旗までの距離は、障がいの程度に応じてハンデを設定。いちばんはやく旗をとった選手のチームに10点が入る。ハンデ20メートル、10メートル、1メートル、50センチの位置からレースがスタート。応援席からの乱入した者との乱闘をまじえつつ、1メートルハンデの選手が旗をつかんだのだった。

空門

ある障がい者団体の人が言ってたんです。「私たちは運動会でも応援席で見学してるだけで参加させてもらえなかった。自分なりに運動会をやってみたかったから、年に一回やっている」と。それを聞いて、「面白いですね、番組でもやりましょう」と言って放送したものです。ぼくも小学生のときは歩けたので、かけっこにも参加していました。学校側の配慮で自分だけはゴールの近くからスタートで。それがまあ、あんまり面白くなかったんですね(笑)。運動会って、いかにはやく走れるか、いかに多く玉を入れるかでみんな盛り上がるじゃないですか。その輪に自分がどうしても入っていけない。

森永

なんかエキシビジョン感が出ちゃうみたいな。

空門

そうそう。完全に蚊帳の外にするのもあれやなっていう配慮でやってくれてたと思うので、それはそれでありがたいんですけど。そういう自分の経験もあったので、障がい者が「俺たちだって運動会やりたいんだぞ」って大暴れするさまをバラエティという手法で見せました。「障がい者が健常者の社会の中に入っていかれへんのは、おかしいんちゃいますか?」っていうのがいちばん言いたかったことです。ぼくらはそれまでドキュメンタリーの枠のなかで必死に「こんな頑張ってる子がいるよ。障がいにめげずに健常者の社会に出てきてますよ」と伝えてきた。でもそうじゃない演出を試してみようと、挑戦したのがこれです。

ライラ

私はテレビを見ていて、その役は健常者じゃなくてもいいだろうって思うことはあります。イギリスでは1970年ごろから障がい者運動や今では障がい者の芸術参加運動も盛んで、車椅子の女優さんや戦争で下半身不全になったレポーターがふつうにテレビに出たりしているんですね。この間もポテトフライのCMを見ていたら、バレンタインの場面で知的障がいのカップルや同性愛のカップルが描かれていました。それは制作チームの意図ですよね。イギリスではいま「インターセクショナリティ」がホットワードなんですよ。イギリスは、人種、民族、障がい、セクシュアリティといろいろな問題が混ざっている。インターセクションって、物が交差するっていう意味です。障がいやセクシュアリティや貧困の問題は、単体で存在するんじゃなくて、複雑に交錯している。その交差点に注目することが、いろいろなものを解決するための中核になっていくんじゃないかという議論があります。イギリスは障がいに関する言葉の使い方もとても丁寧です。たとえば精神障がいを「メンタルヘルスイシュー(Mental Health Issue)」と言います。

森永

イシューは「問題」という意味ですか?

ライラ

問題は「プロブレム(Problem)」です。プロブレムは解決が難しい困難。イシュー(issue) は議論しなきゃいけない課題。メンタルヘルスイシューという呼び方は、この人はどうしたら社会でやっていけるだろうと考えることに繋がります。言葉ひとつで変わっていくことってある。発達障がいという言葉もありません。細かく分類されて個別に名前があります。

森永

確かに、日本語のなかに言葉が不足しているのかもしれないです。

ライラ

どういう言葉で扱うかは、今後、重要になってくると思う。現場で「精神障がい」という言葉が本人の首を絞めつけているのを目の当たりにしているので。発達障がい者で障がい者手帳を取るか取らないか悩む人もいます。ひとつのレッテルが貼られることになるから。

客席 C

ライラさんに質問です。プロブレムは議論せねばならない課題と言ったときの議論は、当事者と支援者のどっちの目線なのか気になりました。というのも、以前、引きこもり問題について60人くらいで議論する場にいたときに、不登校や引きこもりの当事者がぼくしかいなかったんです。恋愛アプリを使って人と接してもらおうというアイデアでその場が盛り上がりました。人と接したくないからひきこもってるのにそれをわかってないな、と違和感を覚えました。

ライラ

それは基本的にステークホルダーの目線での議論が必要、という意味です。質問者の例は、savior complex、いわゆる救世主コンプレックスですね。助けてあげなくちゃいけないという変な思い込みを持っている方。いろんな場所や場面にいますね。

森永

支援している自分に、自己陶酔している人、いますよね。

ライラ

私自身、障がい者福祉施設にデザイナーとして関わったときに、どうにかやらなければという気持ちが強すぎて、プロジェクトが失敗に終わったことがあります。なぜ失敗したのだろうと考えて、現場でエンパワメントができていなかったという結論にいたりました。プロジェクトに関わった障がい者に、この商品は私たちの現場から生まれてきたんだという実感がなかった。エンパワメントって、与えるものじゃない、その人から自然と湧き出てくるものだから。それをどうしたらいいんだろう? そうだ、みんなをそれぞれの専門家にしようと。私はグラフィックデザイナーなので、彼らの描く絵のここを工夫したら魅力的な商品になる、という専門知識があります。そして支援員は個人のサポートの魔術師なんですよね。どんな問いかけで相手の可能性が開かれるかを知っている。そして福祉施設のメンバーは、自分自身の人生の専門家。それぞれの専門性を生かして、3者が語り合っているわけです。だから私は福祉の専門家にならないでおこうって決めてます。福祉に関して持っている本は『福祉用語辞典』の最新バージョンのみです。障がい者が生活する上でのリアリティを持っているのは、障がい者本人だから。本人から聞きだすのがいちばんです。

森永

引きこもりの話だと、支援したい人もなにかの専門家なんだろうけど、引きこもりは引きこもりで、それぞれの事情の引きこもりの専門家である。対等な関係で話し合うならいいけれど、支援者の事情だけで「君たち大変そうだから支援するわ」と上から目線でいうのは議論じゃない。

ライラ

そう。議論にはステークホルダーをもっと入れたほうがいいです。とても面倒臭いプロセスで時間はかかりますが、そのほうが具体的な解決策が生まれます。社会的なプロジェクトが成功するかどうかは、プロデューサーがステークホルダー同士をどう繋げるかにかかってきます。

森永

確かに「当事者の意見が反映されないのはおかしい」と指摘されないのは変かもしれませんね。

ライラ

特に福祉は「助けなきゃ」っていう気持ちが前面に出る分野なので。社会弱者とか当事者って言いかた、英語ではしないですからね。「それに影響されている人々」という意味でステークホルダーって言います。当事者ってなんなの? って思います。それだけで「自分たちは関係ない」と切断されているかんじがします。

[ 次回 障がい者を笑うのは不謹慎なのか? ]

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