• シェイク!Vol.5 長く愛されるコンテンツとは?(3)<br>藤村忠寿(水曜どうでしょう)×佐藤尚之(さとなお)×林雄司(デイリーポータルZ)

シェイク!Vol.5 長く愛されるコンテンツとは?(3)
藤村忠寿(水曜どうでしょう)×佐藤尚之(さとなお)×林雄司(デイリーポータルZ)

シェイク!Vol.5 「長く愛されるコンテンツとは?」のトークセッションの模様の3回目。
「長く愛されるのは時代に乗った人ではない」という話を中心に今回はお届けする。

長く愛されるのは時代に乗った人ではない

藤村

20年間サイトを続ける秘訣というものがあれば、さとなおさんにもお聞きしたいです。

佐藤

なんですかね。例えば源氏鶏太※とかいま誰も知らないじゃないですか。昭和初期の大ベストセラー作家なわけですが、そういうように時代に寄り添った人って意外に続かない感じを持っています。消費されちゃう、みたいなことです。時事小説というか、たまたまも含めて時代に乗っちゃったりすると消費されてしまうイメージがあります。

※源氏鶏太。『英語屋さん』で第25回直木賞受賞。1912年-1985年

佐藤

じゃあ何が消費されずに長く続き残るかというと、やっぱり個人の想いというか「個」が色濃く出たものかなと思います。例えば、個人の変態的なことであったりだとか、情けないことであったりとか。個人の体臭が匂ってくるというかそういうことのほうが普遍性があると思うんですよね。時代に合わせたりしないで、こつこつと自分の「個」を出し続ける。それは時代に消費されず、個人からの濃い反応も返ってきて、結果的に長続きする。そんな感じを持っています。

広告をやっていると、10人いたら10人から好かれないといけない。嫌われちゃいけないんです。しかも時代に合わせていかないといけない。でも、そういう「時代の最大公約数的な発信」って時代に消費されてしまう。すぐ忘れられちゃう。もっと、時代を無視するくらいな、自分の想いとか体臭みたいなものを表に出した方が続くし残るんだ、とよく思いますね。自分でもなかなかうまくできないんですが。続

そういう意味でいまのCMって展開が早いのが多すぎると思うんです。たとえばペプシのヒットCMとかで、桃太郎が出てきてすぐ鬼ヶ島に行くじゃないですか。あれも展開が早すぎる。「ネット民ってすぐ飽きるから次を急いで作らなきゃ」みたいな、いまの時代に合わせるようなことをしていくと消費されるのも早いと思うんですよね。もっと「個」がワガママに作った方が続くし残る。

20年続けるということに戻ると、インターネットは自分でやめなければ終わりません。

藤村

テレビだと打ち切りとかあるけども(笑)

インターネットはテレビみたいに人の顔色を伺わなくていいので楽ですね。社長以外のですが(笑) それにクビになっても自分一人で続ければ良いわけですよ。

藤村

ネットの世界というのはそういう意味では自分がやろうと思ったら長続きできる。自分さえやれば環境としては楽なんだ。

楽ですよ。ブレイクもしないでずっと同じようなことを同じような半笑いでニヤニヤ見てもらうんです(笑)

藤村

一時的にドーンとヒットする分かりやすいコンテンツはあるじゃないですか。でも、個人の思いがそこに入るとすぐには分からない部分が出てくるんです。だって、個人だから。それが長く愛されることに繋がるんだと思う。

例えば、『水曜どうでしょう』なんて俺が屁出して笑ってるシーンも流しちゃうわけです。そうすると視聴者の中にもポカンとしている人が多々いるんですよ。「何が面白いんだ」みたいな。「『水曜どうでしょう』は往々にして面白いんだけれども今回のこれはなぜそんなに笑ったのか理解できない」みたいな。そういうものを作ると逆に気になるっていう心理はありますよね。

佐藤

全体のほんの1割が大笑いしていると周囲は気になりますよね。つまらないとは思っているのにだんだん自信なくなるから。

藤村

だから僕はモノっていうのは作り手の個人の意思が見えないとすぐに飽きられるんだろうと思っています。誰が作っているか分からないようなものは結局誰でも作れるものだから。もっと作ってる人の個性というか署名のようなものは出した方がいい。日本ってなんでこんなに名前を出さないんでしょうね。それが無いからつまらないとは言わないけれども長くは続かないと思う。

見ている方も誰が作っているのかというのがわかると「藤村が作ってるんだったら観てやろう」と思ってくれる。そういう関係が必要だとずっと思っています。見てる方と「なあなあ」の関係を作りたいんですよね。それが一番楽じゃないですか。

その通りだと思います。『デイリーポータルZ』もやたらイベントをやって読者と会うようにしています。なぜかって会うとみんな悪く言わなくなるから。

佐藤

コンテンツ自体で勝負してももうコンテンツが多すぎるから無理ですよね。この前発表されていました※が、例えばyoutubeだと1分間に300時間分の動画がアップされてる。こんな状況でコンテンツだけで比べても無理なので「なあなあな関係」というか作り手の人間を見るようになりますよね。

※ 【調査】一体どれくらい?主要SNSサイトにおけるYouTubeの活用

「なあなあ」になると例えば記事で実験が失敗したとしても許されるようになる。何か失敗しても「頑張るぞ」「失敗」「落ち込む」で全部入れるとエッセイというかお話になるんです。

藤村

『デイリーポータルZ』の記事って失敗前提ですよね。逆に言うと成功したところで何の意味があるんだっていう(笑)

成功しちゃうと逆にあんまり面白くなくて。面白いのは人があたふたしているところなので、うまくいっちゃうと書くことないんですよね(笑) 人がしょんぼりしてるのが一番面白い。

藤村

そうだね。今度新しいDVDが出るのでそのための再編集をしているんだけど、過去の映像を見ていると、大泉にせよ誰にせよこっちが本気でやったら驚く顔がリアルなんですよ。そういうときは大きなリアクションなんて絶対しないんです。涙を流すより、呆気にとられているその一点。何秒かなんですけれどもそれが一番人の心を打つと思います。『水曜どうでしょう』なんかその連続ですからね。

思うんですけど何かモノを作るときに 完全なモノって絶対ダメだと思っています。でも、わざと不完全なモノを作るっていうのも計算が見えちゃって駄目。作り手が徹底的に真剣に物事をやっているうちにどこか抜けちゃうというか。伝えきれないものがあるということがモノを作るっていうことなんじゃないのかな。

佐藤

真剣に作っていると視野が狭くなってくる感じがありますが、そういうのはいい意味で伝わりますよね。

真剣とは違うかもしれませんが、『デイリーポータルZ』の食べ物の記事で本来は料理の写真を始めに撮らないといけないのに、美味そうで食べちゃった後の写真がよくあるんですよ。料理を撮る前に食べちゃう(笑) それは面白いですよね。すごい綺麗な情報誌みたいな写真って美味しそうじゃないじゃないですか。伝わってこない。でも、「食べちゃったのか。そっか、食べちゃったか。」みたいなものは伝わる。

藤村

カメラマンは撮影しようしているけれども、記者が来た瞬間に思わず料理に手が出ちゃったってことですよね。それはその記者の迸りが伝わるわけですよ(笑)

『水曜どうでしょう』の撮影でフレンチを食べると大泉は美味しいとか言うわけですよ。でも、こっちは撮っていて「本当か?」と思って手を出してその場で食べちゃう。そうすると本当に美味しくて「美味しい」って言っちゃうんです(笑) タレントが目の前にいるのにカメラマンが美味しいって言っている方が真実味があるように思えるんですよ。タレントが喋るよりもが作る側が喋る方が真実味があるんだなっていう。

画面に出ているものを視聴者は見慣れていて、画面に出ているものがすべて嘘くさいというわけではないんだけれども、タレントの彼らの表現力だっていくらなんでも限度ってものがあるから。それよりも強いものをちゃんと作り手が作ってやらないと思うんです。

『水曜どうでしょう』はカメラの裏側も含めて『水曜どうでしょう』なんですね。

藤村

そうです。でも、ちゃんと作ろうとは思ってるんですよ(笑)

「続々と質問が集まりました!」へつづく

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