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Gプレスインタビュー

2012.August | vol.110

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我々に今足りないものは、 「勇気」である。

株式会社フジテレビジョン
編成制作局
バラエティー制作センター部長

宮道 治朗 さん

みやみち・じろう
/1991年株式会社フジテレビジョン入社。入社以来バラエティ番組制作一筋。「なるほど!ザ・ワールド」「クイズ!年の差なんて」「ものまね王座決定戦」や各種音楽番組などでAD経験を積み、「力の限りゴーゴゴー!!」「ザ・ジャッジ!~得する法律ファイル~」などを演出。その後プロデューサーとしてレギュラー番組では「ネプリーグ」「トリビアの泉」「ホンマでっか!?TV」などを、特番では「青春アカペラ甲子園全国ハモネプリーグ」「さんま&くりぃむの芸能界マル秘個人情報グランプリ」「芸能界特技王決定戦TEPPEN」などを立ち上げる。2011年編成部企画担当部長。現在、編成制作局バラエティ制作センター 部長。

前号よみうりテレビ西田二郎さんを皮切りに、今のテレビ番組制作を支えている各局の方たちにリレー式でインタビューしていく、Gプレス2012サマーセッション。第2号目は、フジテレビジョン宮道治朗プロデューサー。数々のヒット番組を手がけ、現在バラエティ制作センター部長という立場にいる彼の目に、今のテレビ番組制作はどのように映っているのだろうか。

―宮道さんからみて、今という時代は、テレビにとって、どんな時代ですか

今、世の中すべてが過渡期です。政治も、経済も、メディアも。テレビ制作の現場で言えば、制作者もタレントも、すべてが過渡期です。私たちの世代は、ともすると「昔は良かったのに今は…」と言いがちですが、我々の世代が大好きだったテレビ、我々にとってキラキラと輝いていたテレビと、今のテレビとは全くちがうものかもしれないと疑ってかからなければならないと思います。私たちが面白いと思うものと、今の20代の若い制作が面白いと思うものは違うわけで。ですから、勇気をもって過去の成功体験を捨てる必要があるのかもしれません。

―前号のよみうりテレビ西田さんも、「上が手を出しすぎるから若い者が育たない。上が手を出して外すぐらいなら、若いのに思いっきり失敗させた方がよい」とおっしゃっていました。

同感ですね。トライアルを受け入れる―これをしなくなったら、我々は終わりです。企画にベットするのではなく、人にベットするということ。特に若い人間にベットするということが大事です。きらりと光る若い人材に「間違いなくチャンスを与える」ことが、我々おとなたちの使命です。チャンスを与えるということは、イコール失敗させるということですから。それをやらないと、人材はどんどん縮んでいき、結果番組がつまらないものになっていきます。その番組が人の気持ちを動かすかどうかは、制作者の「熱」に比例しますから。こうすれば数字は上がるだろうという計算によってカタチだけ整えた番組、制作者の熱がみえてこない番組は、人の心を動かすことはできません。

―フジテレビはどうですか。

すべての番組がそうとはいいませんが、うちは「作っている人の個性が一番見える局」という言われ方をされます。私は、そのとおりだと思っていますし、フジテレビはそうでありつづけなければいけないと思っています。その自負と自覚は、フジテレビの社員はみなどこかに持っているはずです。

―御社のキャッチコピーだった「楽しくなければテレビじゃない」には、そういう“フジテレビイズム”が表れているんですね。

そのキャッチコピー、本当は前にもう一文あるんです。「たかがテレビ、されどテレビ。楽しくなければテレビじゃない」がフルコピー。私はこの「されどテレビ」の部分に、フジテレビのテレビに対する思いやこだわりがすごく表れていると思っています。つまり、テレビとは見る側は何も考えず気楽に見ていいものである一方で、作る側は死ぬ気で必死に作るもの。その表裏のギャップがはっきりと合ってこそ、テレビのすばらしさだと思います。

―一番大事にすべきは、制作者の必死さや熱である。そのこと自体は、昔も今も変わりませんよね。にも関わらず、「昔よりテレビがつまらなくなった」「どの番組も同じように見える」と言われてしまうのは、どういうことなのでしょう。

勇気の問題だと私は思いますね。自戒も含めて。フジテレビという局は、昔から、「他がどこもやらなかったことを先陣をきってやる」という文化があるんです。「それ、うちがやらなくてどこがやるんだ!」「まずフジテレビがやらないと!」という自負と義務感みたいなものがあり、自分も先輩たちの背中を見て育てられ、いつの間にかその意識を持つようになりましたが、近ごろその意識が少し影を潜めているのを、自分含め社全体に感じることはあります。たとえば、バラエティに入れるスーパーあるじゃないですか。見ている視聴者側からすると、もういい加減辟易してますよね。入れている制作者側も、実は同じ思いなんです。クオリティが上がると思って入れているわけじゃないんです。では、なぜ入れるか。不安だから入れているんです。スーパーを入れなくなった途端に視聴者が離れていって数字が落ちてしまんじゃないかと怯えてるだけ。勇気がない。自分を信じきれてない。臆病で自信がないから、つい「数字をとれた実績のある装飾品」に頼ってしまうのです。

―「勇気」や「自信」を回復するには、どうすればよいのでしょうか。

なかなか難しい課題ではありますが、シンブルに言えば、「自分は本気でボールを投げているか、本気で人を笑わせようとしているか、本気で人を感動させようとしているか。」ということをもう一度自問自答することじゃないかと思います。どこかで「テレビの都合」に安座している部分があるんですよ。テレビという巨大なメディアを通じて、何となくそれなりのものを流せば、人は笑ってくれるんじゃないか、感動してくれるんじゃないかって。テレビという箱の中だけで勝手に盛り上がって、リアルにはまったく盛り上がっていない…そういう番組、たくさんありますよね。視聴者に飽きられて当然です。「テレビ=メディアの王者」という潜在的なぬるま湯に我々は浸っていてはいけません。冒頭で、過去の成功体験を捨てる必要があると申し上げました。それと少し矛盾する話かもしれませんが、昔の高視聴率番組を今あらためて見てみても、すごいですよね。真剣に人を笑わそうとしている。真剣に人を感動させようとしている。「テレビの都合」みたいなものは微塵も感じません。そこは、今の制作者たちも大いに見直し、原点に返るべき部分だと思います。

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